茅原 華山 かやはら かざん
   

夷存匡補兄精神
高格人兼高寿身
最似芙蓉天上秀
中興猶剰一名丞
(つねに)存す 匡(ただし)補なう 兄としての精神
高格(=すぐれた人格)の人は兼ねる 高寿(=年齢を多くかさねた)の身
最も芙蓉に似て 天上に秀で
中興(=一度衰え退歩したものが中ごろで盛んになる)猶を剰す 一名の丞(=宰相)
141.5p×34.8p

明治3年8月3日(新暦 1870年8月29日)生〜昭和27年(1952)8月4日歿
 明治・大正・昭和期の評論家、ジャーナリスト。本名・茅原廉太郎。『万朝報』の記者を経て、社会評論誌『第三帝国』『洪水以後』を主宰し、「民本主義」という概念を初めて提唱した人物とされ、大正デモクラシー初期に青年層に多大な影響を与えた。
 「華山逸民廉」の下に、白文の「茅原廉子美」、朱文の「号華山」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%85%E5%8E%9F%E8%8F%AF%E5%B1%B1
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kayahara_k.html
http://odekake.jalan.net/spt_22502aj2200025846.html


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