神波 即山 かんなみ そくざん
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手に円銅(=手鏡)を欖り 暗塵(ちり)を拭く 秋風減し尽くす 旧邦の神 滿頭の蠃得たり 霜雪饒(ゆたか)なり 当初を道わず 是れ人を恨らむ |
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132.0p×32.8p |
天保3年6月6日(新暦 1832年7月3日)生〜明治24(1891)年1月2日歿 |
名古屋の医者の子として、名古屋に生まれる。本姓は橘氏、名は桓、字は猛卿・龍朔、即山と号した。 幼くして僧となり、圓桓と称して甚目寺一乗院に住し、儒学を沢田眉山に学び、頗る詩および書を善くし、のち森春濤の桑三軒吟社で学んだ。 維新の後、蓄髪して俗に還り、行蔵と称した。明治4年8月名古屋藩の史生に任ぜられたが、まもなく辞して東京に出で、司法省に出仕し、累進して内閣一等属となり、上級俸を賜わった。この間深く三條、岩倉二公の知遇を受けた。 茉莉吟社の四天王と称された漢詩人で、同時に書にも秀でており、教育勅語謄本は即山の手になるものである。 「即山謾士」の下に、白文の「神波桓壽如金石」、朱文の「即山翰墨」の落款印が押されている。 推奨サイト http://www4.airnet.ne.jp/soutai/01_soutai/02-1_ka/10-2_n/kannami_sokuzan/kannami_sokuzan.html http://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E6%B3%A2%E5%8D%B3%E5%B1%B1 http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-1371.html http://pddlib.v.wol.ne.jp/biography/kawasa.htm |