大口 周魚 おおぐち しゅうぎょ
   

       思えず友の宵寝をさまたげづ
       花見かへりに角を過ぐとて
          春夜訪友    周魚
  
113p×27.3p

元治元年4月7日(新暦 1864年5月12日)生〜大正9年(1920)10月13日歿
 尾張国愛知郡押切村(名古屋)の生まれ。名は鯛二、号は周魚・白檮舎、別号は旅師・良岑、字は多比之・旅師。その居を白樺檮と称した。
 はじめ和歌を伊東祐命に学び、明治22年26歳のとき高崎正風の縁で御歌所に奉職してからは正風に学んだ。30年34歳のとき録事になり、39年43歳のとき寄人となった。この間、千種会という歌の会を結成して門人の指導に努めた。会員が全国に五万人もいたといわれている。
 彼は博く学芸に通じ歌学に精しく、書を能くし、古筆の研究にも優れた。多田親愛・植松有経に続く周魚は、最初から行成流の書風に親しみ、近衛豫樂院にも私淑した。彼は上京後間もなく桂宮本万葉集の断簡に接し、上代様の草仮名に興味を持つようになった、とされる。が、実際に鑑識が高まったのは、23年27歳のとき難波津会が結成され、これに参加して古筆の鑑識を高め、古筆の研究と収集とに努めてから以後のことである。29年(1896)8月33歳のときに西本願寺の庫裡から後奈良天皇下賜の藤原時代書写の〈三十六人家集〉を発見した。これは学会最大の発見であった。明治44年から大正9年にかけて発刊された法書会の『書苑』収載の古筆解説を執筆した。
 また、たくさん収集した古筆切の名物切でもって手鑑をつくり、銘を『月台』と題して玻璃版を印行した。この実物は周魚の没後、京都の土橋氏の手に入り、旧国宝に指定され、その後東京の山田勝一氏の有となった。
 著書に『大口鯛二翁家集』がある。門人に尾上柴舟がいるが、柴舟も周魚の指導を受けて古筆の研究に努めた。周魚は今日の古筆研究の基礎をなした人であり、その功労は大きいものがある。

推奨サイト
http://www4.airnet.ne.jp/soutai/01_soutai/01-5_o/01-5_o/ooguti_taiji/ooguti_taiji.html
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-544.html
http://72.14.235.104/search?q=cache:o6E6TDnBjnYJ:e-tanzaku.com/features/060601index.html+%E5%A4%A7%E5%8F%A3+%E5%91%A8%E9%AD%9A&hl=ja&ct=clnk&cd=4&gl=jp&lr=lang_ja


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