第2巻 11 藤原楚水著 省心書房三代秦漢の文字を研究する資料としては、甲骨、金石の外、さらにまた古陶及び瓦・磚を挙げなければならない。
瓦当については宋人もかつてこれに注意し、多くの人がこれについて著録しているが、古陶に至っては、わずかに『考古図』に陶鼎を著録しているだけで、しかも文字はない。
これが専著を見るようになったのは実に最近のことであり、その出土もここ数十年来のことである。即ち光
緒(1875-1908)の初年に於いて、斉魯より出土したのが最初である。
古陶には三代のものと漢のものとがある。三代のものには登が最も多く、その文字は皆、范をもって器の上に押し、古銅器の鋳字のようであるが、漢器には、その外、陶胚の上に直接草隷で字をかき、或は焼成して後に字を書いたものもある。
古陶の文字の研究には、先ずその偽を明らかにし、そうして後この文字を攷釈すべきで、器の真贋をも究めないで、強いて文字の解釈を試みるということは武断の誹を免れないであろう。
古陶の出土するものには破片が多く、完全なものは少ない。従ってそれが何であるか明らかにしがたいものも多いが、今日までの研究によってその明らかになったものは、豆、区、釜、良、盆、缶、罍、墳の八種ぐらいである。
瓦当の文字 漢 @ (kohkosai.com)
瓦当とは、梁に用いる瓦筒の下端に半円または正円状をなしているものをいう。
瓦当には正円形のものと半円形のものとある。周代のものは半円形が多く、秦漢には円形のものが多い。間々秦漢に半円形のものもあるが、それは周代の遺制であるとされている。
陶器が夏殷時代すでに存したことは、殷墟から出土せる古陶によってこれを知ることができる。また殷墟文字の高の字が屋形の如くなるによりて家屋の形は想像されるが、殷墟からはまだ瓦は出土していないので、殷代に瓦をもって屋根を葺いたかどうかは明らかにしがたいが、少くとも周の世にはすでに瓦の使用が盛んに行なわれたようである。
瓦当の書は多く瓦面の形勢に随って屈曲し、非常に意匠的に出来ている。普通に碑や磚などの方形或は長方形のものに書するには、字配りなども比較的容易であるが、瓦当は円形のものを四分した三角形の中に、本来四角であるべき文字を収めるのであるから、それに適するように字形を工夫することは容易でないが、秦漢の工匠はよくこの困難に打ち勝ち、或は廻文に或は順読に、字画の疎密に応じ自由に文字を駆使して、縦横変化の妙を極
め、殆んど間然する所のない潭然たる大芸術品を作りあげている。すなわち瓦当文は書道
の研究にも、篆刻にも参考とすべきところが多大である。
瓦当は、その始見の地が関中であり、またその出土した数も尤も多いが、咸豊(1851-1861)・同治(1862-1874)の
間には山東の琅邪台、万里沙等よりも出土し、光緒(1875-1908)・宣統(1909-1911)以後には真定(河北正定諸県)、易州(河北)、中州(河南)の各地、遠くは帰化(山西帰綏)よりも出土した。
羽陽瓦 東周、秦武公羽陽宮瓦 関中出土
書道博物館には羽陽千歳瓦の外に、羽陽万歳二種を収蔵している。
槖泉宮当 東周、秦恵公豪泉宮瓦 関中出土
羅振玉曰く、曰く、秦瓦の伝世せるもの、羽陽以外は棄泉宮当のみ」
秦十二字瓦 秦始皇 関中出土
「維天降霊延元万年天下康寧」の十二字の瓦。
漢幷天下瓦 漢高祖 関中出土
羅振玉曰く、振玉漢の瓦当は殆んど「漢并天下」瓦である。おそらく、これは蕭相国、関中に宮殿を造営したときに作られたものであろう。」
千秋万歳瓦
程敦曰く、「千秋万歳瓦は、諸人の皆有せるところ、漢城より出ず。未央宮に万歳殿ありといえり。これ即ちその殿瓦か。」
羅氏曰く、「千秋万歳瓦は、関中及び山東より出土せるもの均しく少なからず。その文字奇詭百出す。予の見た
るところは殆んど二百種を下らず。」
長寧無亟瓦 関中出土
羅氏曰く、「関中より去歳、長寧無丞瓦を出せり。文字勁偉、その排列甚だ奇なり。」
寿成瓦
羅氏曰く、「近ごろ関中に一瓦を出せり、文に曰く寿成と。考うるに西漢に寿成門あり。殆んど門瓦也。」
この瓦は書道博物館に収蔵されている。
長楽毋亟常安居瓦
千秋万歳与地毋極瓦
延寿萬歳常与天久長瓦
この瓦は書道博物館に収蔵されている。
千秋利君長延年瓦
この瓦は書道博物館に収蔵されている。
五穀満倉瓦
万石君倉瓦
羅氏曰く、「瓦文七字以上のものは、前人の図録中載するところ甚だ少なし。海豊の呉氏に、長楽毋亟常安居(常安居の字、中央にあり)の七字瓦を蔵し、杭州の徐氏に、千秋万歳輿(即ち与字)地毋極の八字瓦を蔵し、嘉興の張氏に、延寿万歳常与天久長(第30図)の九字瓦を蔵せり。並に『擦古録』に見ゆ。三瓦の拓本、予みなこれあり。福山の王氏にさらに七字瓦あり。文に曰く千秋利君長延年(第23図)。近年関中に瓦当を出せり。文に曰く五穀満倉。文字精絶。殆んど倉瓦なり。伝世せるもの最も罕なり。歙県の程氏に万石君倉あり。『擦古録』に見ゆ。(予の蔵する拓本に百万石倉あり。疑うらくは、万石君倉は乃ち百万石倉の誤ならん。)これと二種のみ。」
益延寿瓦
長楽未央瓦
羅氏曰く、「瓦当の最大なるは、福山の王氏の益延寿に如くはなし。長さ建初尺の一尺。次は則ち黄県の丁氏の曲成之謇(殆んど即ち当の別字)なり。」
佐弋瓦
羅氏曰く、「近く数十年来、始めて出土し、前人の著録皆未だ及ばず。文字精絶。考うるに佐弋は西漢の署の名たり。史には左弋に作れり。」
?(木偏に兮)詣宮瓦
羅氏曰く、「この瓦、文字精勁にして、また贋造に類せざるも殊に暁るべからず。予を以って之を観れば絶えて西京の物にあらざる也。」
寿昌万歳瓦
羅氏曰く、「瓦当には年を紀せるは甚だ少し。四角に永和六年の四字を分列せり。」
万歳万歳瓦
羅氏曰く、「この瓦、東萊より出づ。万歳河の両岸、即ち万里沙なり。」
千利万歳瓦
羅氏曰く、「利の字反書せり。斉の地に出づ。」
吉月昭登瓦
羅氏曰く、「この瓦、関中に出づ。文字宕逸愛すべし。」
与天九長瓦
羅氏曰く、「九を借りて久と作す。文字雄偉。」
道徳順序瓦
羅氏曰く「文字疏宕寛博、殆んどまた西京の制度なり。王氏の蔵瓦中、羽陽臨渭とこの瓦を以って之が魁と為す。」
神霊冢当
羅氏曰く「王氏に墓字瓦二あり。乃ち冢当なり。丹徒の劉氏にも冢字瓦あり。均しく字の大きさ建初尺の五寸を逾ゆ。」
この外、普通に世に知られているものには長生未央、安楽未央、安楽富貴、甘泉、上林、延年益寿、長楽万歳、与天無極等その数は極めて多く、殆んど枚挙しがたい。また文字の外、四霊その他のものをかいた画瓦があり、近ごろまた瓦磚が出土することもある。更に新に出土すべき瓦当と相まって、これが文字書道の研究に貢献すること少くあるまい。
実物の収集はまことに容易でない。学者は拓本の転印と流布とにまつ外はない。幸にして我が中村不折画伯の書道博物館に収蔵されているものは非常に多く、更にまた閲県の何遂氏叙甫の蔵瓦が北平図書館に託されているとのことであるから、他日、日中の学者によってこれらの転印を見ることも望みがたいことではあるまい。
漢瓦千秋万世 |
漢瓦延年益寿 |
漢瓦千秋安楽無極 |
漢瓦富貴針宜当 |
漢瓦大? |
漢瓦寿泉宮当 |
漢瓦億年無彊 |
漢瓦永奉無彊 |
漢瓦東楊 |
漢瓦長楽富貴 |
漢瓦八風寿存当 |
漢瓦鼎胡宮延寿 |
秦槖泉宮当 |
漢瓦衛 |
漢瓦関 |
漢甎石鎮西瓦(憲斎甎瓦録) |
瓦削の文字
古人は竹簡に刀をもって文字を刻したが、瓦にもまた刀の類をもって文字を記し、これを瓦削といい、その刀を削刀といった。
瓦削とは片瓦に刻した文字をいい、人の姓名及び月日が刻されたものが多く、また往々に瓦削人。削人などの文字が見える。
文字者は筒瓦、即ち瓦当文字に対して、これを瓦削文字と呼んでいる。
磚甓の文字
磚は別に塼に作り、甎に作りまた略して専に作る。墫甓、専甓、甃磚等と熟し、字書に「かわら」又は「しきかわら」と注してある。
煉瓦の一種で牆甎、壙甎等の別があるが、現存の遺物には壙甎が最も多い。
南朝に立碑の禁があって以来、墓専が最も多く行なわれた。従って磚甓の文字は南朝の書学、史伝の研究には参考となることが少くない。
漢代の陵墓に、木槨墓、磚槨墓、磚室墓の三種の形制のあったことは学者の承認するところだが、陵墓にはまた隧道と称する地下の墓道があって、これより墓門に至り、玄室に達する。
陵墓や墓道の築造には多く磚を用いた。即ちこれが壙磚と呼ばれるもので、諸種の紋様、または動植物を描き、或は文字、画像、車騎の類を刻したものも多く、中には刻画の非常にすぐれたものもあり、その精巧なものに至っては、祠堂石室の壁画とほとんど異ならない。即ちこれによって漢代の画風と、その文物衣冠の制を窺うことが出来るとともに、その書にもまた学ぶべきものが少くない。
磚は墓志銘を刻したものや、買地莂荊と称する地券の類に文字を刻したものもある。
黄武四年買地券 |
漢甎単于和親 千秋万歳 安楽未央 |
漢甎永平五年二月造 漢甎甘露三年八月丁亥 |
漢甎大学受礼墫 |
漢甎漢故処士王君之霊弟 漢甎永元四年五月八日作記 |
漢甎有大吉 |
漢甎安後世 漢甎西晉磚 |
漢甎泰始八年由氏墓 漢甎永和口年八月二日。宜子孫 漢甎永元六年太歳甲午 |
漢甎既寿考。宜孫子(安後世) 漢甎元和六年太歳口口莫龍編侯之墓 |
呉磚 呉磚 魏碑 |
西晉磚 西晉磚 呉磚 |
西晉磚 西晉磚 |
魏景元元年張氏墓増 |
魏景元元年張使君兄墓 |
漢墫富楽未央。子孫益昌 |
富貴昌・意気陽・宜宮堂 ・宜弟兄・長相思・爵祿尊 ・毋相忘・寿万年 |
晉墫征東将軍・軍司 ・関仲侯・房府君之碑 |
空磚は専ら壙に用いたものであるといわれるが、その用途に従って形制にも相違があり、またその名
称も種々である。羅振玉は、或はその文字により或は出土の場所時代等によって勝手にその名をつけて、斉字専、竟寧専、帰化城漢専、草隷専、漢墓専、魏墓専、吉祥専、記父母専、年専、均語専、画専、長専、君子専、麟元専、陰文永康専、反左書専、舎利塔専、浮図専、大悲菩薩専、倉専、虎丘塔専、宋墓専、宋専、淮安宋専、明宮牆専等の名をもってこれを呼んでいる。
文様のみで文字のないものには、その文様によって名称がつけられている。王振鐸は、亭長波紋柱専、門下長残柱専、龍紋亭長残柱専、執戈武士柱専、鋪道車輿専、鳳馬武士専、波紋虎児方柱専、雷紋専などの種々の名称を付している。
この他、世に琴磚と称されるものは、これを弾琴の台架に利用することによって生じた名称である。
磚の文字は大抵年月か、吉語、人名等を記したものであるが、往年、河南洛陽より出土したものに、急就章磚(第77図)の一種があった。この磚は転伝して今、書道博物館の収蔵に帰しているが、漢の章草の実体を窺うべきもので、中国にも日本にも全く唯一無二のものである。
この外、漢人の書としての『急就章』は、先年、西域地方でペリナやスタイソが発掘した木簡の真蹟『流沙墜簡』がある。これは磚と違って、全部正しい八分で書かれている。
この外、漢人草隷書の墨蹟を見るべきものに甕の一種がある。
陶瓶に見られる文字は、多くは朱泥または墨漆で書いた草隷の一種で、その文意によりそれが明器の一種であろうと思う。これも今日にあっては、漢人の肉筆を窺うべき貴重な資料たるを失わない。
甎は東洋建築に用いられた煉瓦。正方形や長方形の厚い平板で、中国周代に始まり、漢代に発展、城壁・墓室などに用いられた。(weblioより)