伝藤原行尹
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見ぬ世の友 |

見ぬ世の友 |
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見ぬ世の友 161 伝藤原行尹筆 安土切 金銀箔野毛砂子散打曇紙本墨書 30.7×44.0 鎌倉
見ぬ世の友 162 伝藤原行尹筆 安土切 金銀箔野毛砂子散打曇紙本墨書 30.7×28.1 鎌倉
この二つは、「新撰朗詠集」抄写本の断簡。安土切という名は、信長築城の地安土の地名からとったものであろうが、命名についての詳しい理由は判らない。もとは巻子本。料紙は雲形を施した斐紙に、金銀の砂子・切箔・野毛を霞状に撒いたもの。図柄からすると、この二つの切はそのまま前後がつながるものである。漢字は行草体をもって一行五字に大書したもの。やや筆力に欠けるが、堂々たる書きぶりである。仮名は漢字より小さめに、散らし書きしている。筆者は藤原行尹(1286−1350)と伝えられるが、断定はできない。しかし、料紙の美しさ・その書風からみて、当時能書のきこえ高い人の筆跡であることは疑いなく、おそらく高貴な方への調度手本として書かれたものであろう。
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見ぬ世の友 |
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見ぬ世の友 163 伝藤原行尹筆 巻物切 打曇紙本墨書 27.3×12.8 鎌倉
漢字仮名まじりで書いた法華経の断簡で、「妙法蓮華経」方便品第二の一部。「増補古筆名葉集」世尊寺殿行尹卿の条に"縁起切、雲帋、金卦、文字カナ交リ"と記載されるものに相当しよう。もとは巻子本。料紙は藍の雲形を施した斐紙で、金泥で界を引いている。文字は小さいが、筆に渋滞はなく、まことに愛くるしい書風である。これも筆者を藤原行尹というが、断定はできまい。非常に珍しい古筆切である。
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藻塩草 |

翰墨城 |
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藻塩草 157(裏40) 七社奉納和歌断簡(七社切) 伝(世尊寺)行尹筆 金銀箔散打曇斐紙墨書 30.4×14.1 南北朝時代
『増補古筆名葉集』の世尊寺行尹(?〜1350)の条に「七社切、尊氏卿七社奉納ノ内奥書名アリ、行尹代筆ナリ、巻物、雲帋、横金罫上下金銀砂子、哥二行書」とある。手鑑『見ぬ世の友』のものは、この『藻塩草』所収と同じ切の巻首部分で、「詠七首和歌道大」とあり、七社に奉納するため、一人が七首ずつ詠んだ和歌の巻物であったことが推察される。もとは巻子装、雁皮質の藍の雲紙の上下には、金銀のこまかい砂子、切箔、野毛が一面に撒いてある。天地に横に金界あり、その界高23.0p、それに和歌一首2行書である。「七社切」の呼称は「七社奉納和歌」の由来によるもので、その七社とはおそらく山王七社のことと思われる。行尹筆と伝えるが、尊氏の右筆であった行尹がこの「七社奉納和歌」のうち、奥書のみを書いたのか、この巻物全部を書いたのだろうか。そこで、この「七社切」と世尊寺行房の花押を有する短冊(前田育徳会蔵短冊帖)と比較すると、その筆跡特徴から、これは全く同筆と認められる。以上の二点からこの「七社切」は、行房の自筆になるものと考えられる。
なお、手鑑『翰墨城』所収の伝行尹筆「四半切」も、この「七社切」とは全く同筆と認められるもので、この「四半切」も行房の真蹟になると思われる。
翰墨城 225 伝世尊寺行尹 七社切
『増補古筆名葉集』の世尊寺行尹(1286−1350)の条の「七社切 尊氏卿七社奉納ノ内奥書名アリ 行尹代筆ナリ
巻物 雲帋 横金卦上下金銀砂子 哥二行書」とあるのに適合する。もとは巻子本で、雁皮質の藍の雲紙の上下に、金銀の細かい砂子・切箔・野毛を一面に撒いている。天地には墨界を引き、歌を一首2行書きにしている。この断簡は巻頭の部分で、「詠七首和歌 道大」とあるところから、七社に奉納するため、一人が七首ずつ詠んだ和歌の巻物であったことと推察できる。「道大」というのは、だれかの法名らしいが、いま、にわかに明らかにしがたい。「七社切」の呼称は「七社奉納和歌」に由来する。この七社とはおそらく山王七社を指すものと思われる。筆者を行尹と伝える。筆跡が「短冊帖」の行尹のものと似通っており、あるいは、行尹の自筆と認定することが可能かもしれない。同類の切を手鑑「藻塩草」に所収する。
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藻塩草 |
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藻塩草 158(裏41) 〔縁起断簡〕(高島切) 伝(世尊寺)行尹筆 金銀箔散斐紙墨書 29.3×13.8 南北朝時代
『古筆名葉集』の世尊寺行尹の条には「巻物切、中行字、帋ノ上下砂子アリ」とあり、『増補古筆名葉集』も「同(巻物切)、行書、中字、天地金銀砂子アリ」とある。内容は、寺の縁起か、高僧の絵伝のようであるが、なお後考を要する。もとは巻子装、楮まじりの雁皮質の料紙の天地には、大小の金銀切箔、野毛、砂子をびつしり撒き、中ほどには同じく金銀砂子が雲霞文様状に撒いてある。それに行書で一行10字〜12字程度に書かれている。「高島切」の呼称の由来は明らかでない。書風は世尊寺流のおだやかさであるが、自筆の短冊などと比し、なお同筆とは断定し難い。しかし、その装飾料紙や書風から南北朝時代のものと推定される。
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翰墨城 |
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翰墨城 226 伝世尊寺行尹 拾遺集切
『拾遺和歌集』巻第二十・哀傷に所収されるもの。なんの装飾もない素紙に、詞書、筆者、そして和歌一首を2行に書く。世尊寺流の豊潤な筆致で、連綿も無理なく書き続けられ、たいへんに手慣れた書写体である。世尊寺行尹の筆跡としては、「七首和歌懐紙」・「五首和歌懐紙断簡」が伝わるが、これらと比較して、用筆や字形が、いかにもすっきりとしていて個性がなく、とりわけ、書写に際して縦の流れの強いのが印象的である。どちらも南北朝時代の特徴がよく現われており、似ている点もあるが、同筆とは認めがたい。
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翰墨城 |
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翰墨城 227 伝世尊寺行尹 仮名法華経切
漢字 仮名まじりの調和体で書かれた「法華経」の断簡。もとは、開結をそろえた十巻本であったと思われる。これは、その巻第一・方便品第二の偶の部分に当たる。漢文体で書かれる難解な仏典を、読みやすく、平仮名を使って書き下している。漢字や漢文の知識にうとい女性のために書かれたものであろうか。料紙は藍の雲紙。通行の写経どおり、金泥で界を引き、一行ほぼ17字詰めに書く。書風は後京極流。やや縦長の字形は整い、線は細めであるが、すこぶる穏やかである。手鑑「見ぬ世の友」にも、この連れの断簡で、同じく方便品のすこし先の部分が所収されている。ともに筆者を世尊寺行尹と伝えるが、その真跡と比較して、同筆とは認められない。
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